百代の過客

旅行記とか日々を気ままに書いていく予定です

象牙の塔であぐらをかいて

(早速ブログが三日坊主になっている事に突っ込んではいけない)

 

2020年もあと一か月らしい。今年は世間的にもいろいろありすぎた年だったと思うけど、個人的にもいろいろありすぎた。

特にこの一年が一番「自分という存在」について考えたと思う。

 

 せめて自分が好きな事には正直に生きよう。

 僕はある時にこう決心した。それは特に生まれ持った才能であったり容姿であったりしたものが無かった自分の、世間一般に対する一種の反抗だったのかもしれない。

それ以降、人生における選択の基準は「自分が好きな事」になっていった。高校は入りたい部活がある学校に、大学は研究してみたい学問がある学校を選んだ。そのおかげか、部活やサークル、ゼミで一定数の交友関係を持てた。

いつの間にか「趣味活動を行う事でようやく自分が何者かでいられる」と考えるようになっていた。俗世間を離れて楽しむ世界を象牙の塔というらしいが、まさにそこに籠っていたと言っていいだろう。

 

さて、大学では元々興味があったクイズ研究会に所属した。
今思うと先輩方は全員強かったし、同期には高校クイ研の出身が多かった。そんな中でも、昔からクイズ番組とか雑学系の番組を好んで見ていたり、鉄道やスポーツといった他の趣味で得た知識があったので「そこそこ」楽しくできていた。
1年生の秋に初めて参加した大会「第9回東日本新人王」では予選2勝を果たして先輩に驚かれた事は今でも覚えている。(その後参加した第10・11回大会でも2勝止まり。数々開催される大会の中でもかなり規模の大きいこの大会で、なぜクイズ用の勉強ほぼやってなかった状態で2勝もできたのか今となっては謎。)

その後はインカレサークルにも参加するようになって、北は北海道から南は九州まで交友関係は広がった。大会とかを通して、社会人の方々とも交流する事ができた。
クイ研に入ってクイズをやっていなければ、自分はここまで交友関係を広げられるスキルは無かっただろう。

 

この時点で、クイズプレイヤーという「何者」かでいられた。
そして、そこである程度満足してしまっていたと思う。

 だから、同期が「abc」や「STU」などの大きな大会で上位進出を目指して励む中、あまり苦に感じないぐらいのペースでクイズを続けた。皆が「象牙の塔」の中でも上の階を目指す中、自分は1階でのんべんだらりとあぐらをかいていた。俗世間から離れられただけで、それでよかったのだ。

そうしている内に、どんどん差は開いた。大会で同期や後輩が活躍する中、大抵最初のペーパーテストで脱落してその姿を眺めるだけの事が多くなった。(参加者が多い大会では最初のペーパーテストで人数が絞られる。そこで負けると、早押しボタンを押す機会も無く大会を終える事もザラにある。)

クイズ研究会自体も低迷した。学生サークル日本一を決める大会「EQIDEN」で優勝経験もあるサークルだったが、入会後は予選を突破する事もできなくなっていた。傍から見れば、自分の代のせいで弱体化したと思われても仕方がなかった。「大会で結果を出す事にこだわらず、各個人が自由にやればいいじゃないか」という言葉もあったが、1年の時に強い先輩方を見ていて、「自分が所属しているこのサークルは凄いんだ」という印象がどうしても離れなかった。

これだけ受けてもまだあぐらをかいていた、と言うのは嘘になる。少しは危機感みたいなものは感じたし、問題集の読み込みや問題の自作は増えたと思う。でも、問題集を読んでいるとどうしても暗記帳は参考書を読んでいる感覚になって、そう簡単に頭には入ってこなかった。よくクイズをしていると「その問題は第〇回の△△という大会で××さんが正解してた」という会話を耳にしたが、「そんなのどうやったら覚えられるんだよ!」と毎回心の中でツッコミを入れて、その度に周りが持っていて自分が持っていないモノを痛感していた。「ペーパーテスト通過できるように精進します」と言ってはいたけれど、そう言っておかないと自分が見向きもされなくなるような気がしていたからかもしれない。

 

競技クイズが好きだ。でも強くなろうとするとその過程は苦しい。

 他の世界でもあてはまる当然の事であるが、「象牙の塔」で俗世間から離れようとしていた自分にとっては直視したくない事だった。

そんな自分に現実を叩きつけるイベントが発生した。

 

そう、就職活動である。

周りの就活生は皆それぞれ、自分に自信を持っているように見えた。それは決して自意識過剰とかいう類ではなく、それを裏付ける結果という「証拠」があった。
自分もガクチカを問われたら迷いなく「競技クイズ」と答えていた。だが、そもそも競技クイズの世界が一般にとっては分かりづらい。その度にテレビクイズとの違いを熱心に説明してはみたけれど、その後に出す「頑張った証拠」が自分には無かった。また、競技クイズを「特技」と言い切れなかった事も大きい。俗世間から離れていたから、比べる指標も狭かったから、「周りと比べて秀でています!」とも言えなかったのだ。

結果第一志望の業界は全滅。一度出した履歴書は全て尽きた。7月末に内定を貰うまで、周りはほとんど決まっていた中闘っていた。

 

結果が出なければ、何もやっていないのと同じである。

 まるでそう言われているようだった。趣味を否定されたら、自分は何者でもなくなってしまうように感じた。

今までクイズを通して交友関係を持っていた人たちも急に怖くなった。「結果を出さない自分を、同業者だとは思っていないのではないか?」という一種の人間不信に陥った。一人で行動するのは苦に感じない人間だったが、「孤独」は怖かった。「象牙の塔」から締め出されたら、一人で生きていける自信なんて全く無かった。

そして夏休み明けの学園祭で会ったOBからの一言がとどめの一撃となる。

 

へたりあ君ってさ、紙落ち芸人だよね。

 まるで締め出し前の最後通告である。趣味という「象牙の塔」から締め出されたら、自分は自分なんだというアイデンティティ、そして今まで得たものを全て失ってしまう。そう感じた。

 

曲がりなりにもここまでやってきた事、そしてクイズが好きでやっている事を証明したい。
そのためには、結果が必要なんだ。

 こう考えを改めてからは取り組む熱量が違った。暗記帳としか思えなくても、問題集を読み込んだ。傾向を研究してノートにもまとめた。正直「楽しい」とは感じなかった。それでも自分を押し殺して取り組んだ。

その結果「STU」におけるペーパーテスト未通過者限定の大会「BNS2」で念願のペーパーテスト通過。最後の挑戦となった「abc」では特別な情勢下とはいえ、最後の一枠に滑り込む劇的な形でペーパーテスト通過を果たした。早押しで正解する事や勝ち抜けを経験する事もできた。

それぞれの大会で貰ったネームプレートは現在、額縁の中に入れて部屋に飾っている。
緑の紙の両面に、順位と名前が印刷されたコピー用紙が貼られてあるだけの、自分でも作れてしまいそうな代物。それでも、自分にとっては趣味、そして何者かである大切な「証明書」だ。

「abc」の後、あるOBの方から「苦労人である君が報われて良かった。」と言われた。嬉しい反面、違和感も覚えた。自分は今まであぐらをかいてしまっていた分を、短い時間で必死に取り返しただけだ。だから「苦労人」という言葉は、自分には勿体ないと思う。

 

「abc」から3ヶ月以上が経った。あれから問題集の類はほぼ手を付けていない。今の職場では満足に趣味を続ける事は難しいと判断した自分は、次に向けて勉強を始めたのも要因だ。かといってクイズ熱が冷めた訳ではなく、先日もOBサークルの一員として団体戦に出場した。象牙の塔」に籠る生き方が正しいとは思えないが、今更それ以外の生き方ができるとも思えない。

 

自分が自分であるために、今日も明日も未来でも「好き」を貫く。