経緯
あれはとある春の日。
何気なくXを眺めていたところ、とあるクイズ大会の経過報告ポストを目にした。
最近のクイズ大会では、公式のXアカウントを開設して、大会の途中経過を報告してくれる大会も少なくなく、よくあることだ。
そこに投稿されていた画像には、答えが競走馬の「ハルウララ」になる問題が掲載されていた。
そして、そこに大会スタッフのコメントと思われる、以下の一文が共にあった。
「こんな駄馬に競馬枠を費やしてよいかは一考の余地ある」
この文章を目にした最初の感想としては「過激なことを言うもんだ」ぐらいだった。
当該ポストを引用したポストにも「高知競馬の関係者に怒られても知らないぞ…」とコメントしただけだった。
筆者は「ウマ娘」をきっかけにここ数年で競馬が好きになった競馬ファンだ。
だから、大会スタッフ側が言わんとしていることも分かる。
ハルウララ号は戦績だけ見れば113戦0勝と、1勝も挙げていない「弱い競走馬」であることは間違いない。
また、メディアなどに過剰に紹介された事実も否めない。
「そう考える人がいてもおかしくないよな」、それぐらいだった。
しかし、時間が経つにつれて、強烈な違和感を覚えるようになった。
そこで、以下の違和感を文章にしたため、大会側へ送信した。
違和感① このコメントそのものを掲載した是非
最初の違和感は、この問題に対するスタッフのコメントそのものを掲載した是非だ。
最近のクイズ大会では、出題された問題を得点表示などに掲載し、それと同時に作問者や大会側からのコメントを掲載するケースが多い。
その問題を出題した背景や、ときには問題内容に対するスタッフからのツッコミが掲載されたりして、筆者としても非常に面白い取り組みだと思う。
しかし、今回は「問題の内容」に対するコメントではなく、「問題を出題したこと」に対するコメントだ。
言い方が厳しいかもしれないが、出題するかどうかを決めるのは大会側だ。
いわゆるスタッフ側の身内問答に過ぎない。
参加した皆様にそれをわざわざ紹介した理由が、イマイチ掴めなかった。
違和感② 文章表現は適切だったのか
次の違和感は「こんな駄馬」という表現だ。
「弱い馬」ならまだしも「駄馬」である。
筆者も競馬を見るようになって知ったのだが、ハルウララ号がブームになった当初、日本各地で地方競馬場が存続の危機に瀕していた。
実際、当時や前後で地方競馬場の閉鎖が相次いでいた。
その最中、ハルウララ号ブームによって高知競馬場は12年ぶりの黒字転換を果たし、今日まで存続している。
高知競馬に関わる人物や、所属する他の競走馬の未来を、ハルウララ号は結果として救った。
当時の関係者や背景を知る競馬ファンからしてみれば、「駄馬」という表現はあまりにも配慮に欠けた表現ではなかっただろうか。
また、手元の電子辞書の『広辞苑 第六版』で「駄馬」と検索してみた。
①荷をつけて運ばせる馬 ②下等の馬
問題文や前後の文脈から推測するに、少なくとも①ではないだろう。
当該大会はなかなか大きな大会で、当日は100人以上の参加者がいたと聞く。
関係者や競馬ファンでない人が目にしても、気持ちよく感じる表現では少なくともないだろう。
実際、当該大会で出題された全ての問題にコメントがついていた訳ではなかったようだ。
つまり、この文章をどうしても参加した皆様に紹介したかった、ということになる。
であれば、文章表現には一層気をつけてほしかった。
違和感③ なぜ「出題責任をはぐらかした」のか
最後の違和感は、「競馬枠を費やしてよいかは一考の余地ある」の箇所だ。
出題した問題に対して、大会側が自ら「本当に出してよいのか」と疑問を呈してしまっている。
本当に「一考の余地ある」と考えたのであれば、「競馬枠」の他の問題への差し替えや、単純に出題をやめることだってできたはずだ。
それでもこの問題を出したのであれば、尚更問題に対してしっかり責任を負ってほしいと思った。
「競馬枠」という視点を持っている点で、「出題される問題が特定ジャンルに偏らないようにしよう」という、大会側の丁寧な考え方が伺える。
それだけに、非常に勿体ないと感じてしまった。
その後
大会への抗議文には、上記3つの違和感と、参考資料としてハルウララ号と高知競馬の関係を紹介したニュース記事のリンクを掲載した。
提出して数時間後、当該問題とコメントが掲載されたSNSの投稿は削除されていた。
少なくとも大会側には届いたらしい。
最近になって当該大会の記録集が販売されたので、購入して拝読させていただいた。
記録集には、当該の問題を始め、スタッフからのコメントは一切掲載されていなかった。
最初から掲載する予定ではなかったのか、それとも掲載をやめたのか。
今となっては何も分からない。
人の振り見て我が振り直せ
筆者もかつて、クイズの大会を開いたことがある。
その大会で本番前のリハーサルをしたところ、参加した方から「問題の癖が強すぎる」と、かなり強めのおしかりを受けてしまった。
筆者は問題の選定や添削を担当していたが、「折角作問してくれた他のスタッフの個性を消してはいけない」と考えてしまい、大幅な文章添削に踏み切れていなかった。
つまり、「実際の聞き手がどう感じるか」という視点が欠けてしまっていた。
それ以来、自分で企画を打つ時や、大会に問題を提出する時は、事実確認と同時に、文章表現にも一層気をつけるようになった。
もしかしたら、それでも配慮に欠けた問題やコメントを残してしまっているかもしれない。
改めて、肝に銘じていこうと感じた。



























































