百代の過客

旅行記とか日々を気ままに書いていく予定です

あの日と同じ場所、変わらぬ熱気

どうも、へたりあです。

 

昨日は学生クイズのお祭り「abc/EQIDEN」のスタッフをやってきました。

22回目の今回は千葉県の八千代市市民会館が舞台。

自分がラストイヤーとなった18回大会と同じ場所ということで、これまでとは違う感情がありました。

 

それにしても遠いね、八千代。

前回大会終了後に会場が発表された時の会場の微妙なリアクションもそうだったけど、物理的なものとは別の遠さがある気がする。

会場で立ち聞きしたところ、某クイ研では「今大会が八千代開催になったのは、某有名大会主催者の陰謀説」が囁かれているらしい。

一体あの人が何をしたというのか、いや、色々やりすぎてるな。

 

当日の役割は「遊撃(誘導)」。

基本は誘導として会場内でペンライト振り回して参加者を招集場所まで案内してました。

ただ普通の誘導と違ったのは、何かあった時にチーフから指示が飛ぶのでそれに対応する柔軟性のあるポジションだということ。

響きはカッコいいが、要はパシリです(違う)。

まあチーフが同期だったからね、信頼されての任命でしょう(と信じています)。

 

さてはてスタッフの皆様は仕事をこなしつつ、ほとんどの人が学校クイ研OBなので、どうしても現役生の勝ち上がりに一喜一憂してました。

私もご多分に漏れず、出身クイ研がEQIDEN二次予選でサドンデス負けと聞いて絶望したり、現役生4名がabcで紙抜け達成して歓喜してたりしてました。

 

abcを制した松﨑君はとにかく強かった。

四択、筆記の両方で1位を獲ったのは勿論、敗者復活まで経験してまさにabcのフルコースを味わったって感じでした。

本人の感情は分からないけど、日本で一番クイズを楽しんだ人間だったと思います。

 

前に声をかけてくれた、このブログの読者1号(仮)の彼は惜しくも届かなかったらしい。

でも、abcで味わった悔しさは、1年間のエンジンになると思うので頑張って欲しいな。

こっそり応援してます。

 

最後に大会が終わってスタッフ席から後ろを振り返った時、満員のホールを見て感動してしまった。

18回大会はコロナ禍で人数制限があって、オンライン四択を突破した150名ぐらいしか会場にいなかったんですよ。

満員の前で躍動した学生クイズプレイヤーの皆様が羨ましく思います。

 

大学からクイズを始めたので、直接知ってる後輩もいなくなってしまいました。

それでもこの大会には、携わっていたいと思わせる特別な魔力があります。

それは年々大会が変わっても(演出とか景品とかめちゃくちゃ豪華になってるぞ⁉)、毎年変わらぬ学生の「熱気」が生み出しているのかもしれません。

会場で多くの嬉し涙、悔し涙を見ました。

そんな大会に携わる責任はとても重いですが、やっぱり楽しくも感じます。

 

来年は埼玉県の大宮ソニックシティで、また携われたらいいな。

830名の参加者の皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした!

 

「すごいヤツ」を集めて ~スーパートレインスタンプラリー戦記①~

まずは外堀から

休日の午前8時前、筆者は小田原駅にいた。

今回の目的は鉄道ファンの間で話題のJR東日本スーパートレインスタンプラリー ~平成を駆け抜けたすごいヤツ~」を進めていくためだ。

だが、なぜ小田原駅から始めるのか?

まずは今回のエリアマップを見てほしい。

斜線部分が「都区内パス」の範囲

今回のスタンプラリーは「休日おでかけパス」のエリアを対象としている。

全部制覇を目指す上で厄介になるのはエリアの端っこギリギリの駅たちだ。

ならばそこを先に潰してしまえば後々楽になる、という算段だ。

 

というわけで、仕事の時より早い午前5時半に起床して遥々小田原からのスタートとなった。

今は無き「ムーンライトながら」の下りに乗るときはいつも日付変更後の小田原からだったので、旅立ちのイメージにもぴったりの駅かもしれない(後で気づいたこじつけ)

小田原のスタンプは「185系 踊り子」。

小田原駅名物のドデカ提灯

首都圏の旅は駅メロとともに

まずは50駅制覇用の台帳をもらうべく、10駅スタンプを集めていく。

これといって車窓も撮影してないのでルートだけ説明してしまおう。

 

小田原→大船→磯子→東神奈川→橋本→(八王子)→高尾→立川→府中本町→武蔵浦和→大宮

 

一駅一駅に時間はかかるがほぼ乗り換えは無いので効率はいい方だと思う。

土曜ということもあってか、どの駅のスタンプ台でも数人の待機列ができていた。

その中で更に「一人で5部のラリー台帳に押す人」や「自前のスタンプ帳に押す人」もいるもんだからまあ時間がかかる。

実際高尾駅が特にひどく、折り返し10分後の電車に間に合わず1本後となった。

JR東日本も「パンフレットは1人1部でお願いします」と注意喚起しているのだから、気持ちは分かるが守ってほしいところだ。

 

最近は首都圏の各駅でもご当地の発車メロディを採用する駅が増えてきた。

小田原の「おさるのかごや」に始まり、「希望の轍」(茅ヶ崎)、「たなばたさま」(平塚)、「線路は続くよどこまでも」(桜木町)、「宇宙戦艦ヤマト」(淵野辺)、「夕焼け小焼け」(八王子)、「鉄腕アトム」(新座)など聴いていて楽しい。

皆様もいつも使っている駅でも意識して聴いたら採用されているかもしれない。

新小平と新秋津の催眠音声みたいな音楽はオススメしないけど(気になった人はYouTubeなどで聴いてみよう!)。

立川で名物の「おでんそば(さつま揚げ)」を食べる(+かき揚げ)

大宮駅がE4系なのが筆者は嬉しい

小田原から約5時間、ようやく10駅を制覇して大宮で景品云々と交換。

こうやって見ると「すごいヤツ」なのかはともかく、平成1桁生まれの筆者にとっては懐かしさ満点の車両チョイスだ。

今の小学生は知らない車両も多いのではないだろうか?

ホリデー快速ピクニック号」とか、自分でもかなり怪しかったぞ。

 

あと景品交換条件が「ニューデイズで600円以上の買い物」というのもあくどい気がする。

気分は修行僧

ここからが本番、いよいよ50駅制覇を目指してエリアの「端っこ駅」を巡っていく。

 

大宮→浦和→(南浦和)→市川美南→新松戸→柏→土浦→龍ヶ崎市→(我孫子)→成田

 

「熊谷・古河・小山は?」という声がありそうなので説明しておくと、今月両毛線に乗りに行く機会ができたから、その行き帰りで押せるの今回は割愛。

大宮からそれぞれ往復したら4時間ぐらいかかりそうだし。

駅メモや読書で車内の時間を潰しつつ、「乗る→降りる→スタンプを押す」を繰り返していく。

吉川美南は特急鎌倉など臨時列車の始発駅になっているイメージが強く、どんな駅かと気になっていたが、駅前に大きなイオンタウン、反対に空き地が広がる駅だった。

折り返し設備があるから当駅発着になってるだけ?(右がイオンタウン

吉川は「なまずの里」らしい

スタンプの柄で特筆したいのは土浦の「651系 スーパーひたち」。

この車両がデビュー当時、その細長い前面と全体的に白を基調としたことから「タキシードボディのすごいヤツ」と紹介された。

今回のスタンプラリー最大の目玉と言えるかもしれない。

他にも「E653系 フレッシュひたち」(柏)や「253系 成田エクスプレス」(成田)は筆者が幼い頃のスタートレインだったので熱い。

下2つの並びは個人的にエモい

その一方で新松戸の「485系 わくわく舞浜・東京号」はマニアックすぎて笑った。

他に無かったんか…。

我孫子の乗り換え時間で唐揚げそばを食べる(また蕎麦食ってんな)


千葉エリア攻略大作戦

さて成田からは千葉周辺の3駅(津田沼蘇我新習志野)を潰していきたいが、これがなかなかルートが決まらない。

東京方面からなら津田沼蘇我新習志野(あるいはその逆)でいいのだが、成田方面からだとどう巡ろうにも千葉駅を行ったり来たりしなければならない(千葉にもスタンプを設置してくれればいいのに…)。

熟考の末、生み出したルートがこれだ。

 

成田・・・京成成田→(船橋競馬場)・・・(南船橋)→新習志野蘇我→(千葉)→津田沼

 

JRを捨てる。

そして歩く

異論・抗議は受け付けません。

京成津田沼から津田沼まで歩く案もあったが、こっちだと新習志野から帰る時に東京駅の面倒くさい乗り換えが必要になってしまうから止めた。

18:25に京成・船橋競馬場駅到着。

俺JRのスタンプラリーやってるんだよな?

少し前に来た船橋競馬場(当日は休場日)

ひたすら歩く(謎の疾走感)

到着!

船橋から新習志野方面への次の電車は18:42、その次は7分後の蘇我行き。

大成功と言えるのではないだろうか。

こうして新習志野蘇我津田沼とスタンプを押し、この日は帰宅となった。

千葉→津田沼の車内で何故か開いていた非常用ドアコック


途中経過

小田原から約12時間かけて制覇したのは20/50駅

ペースとしてはイマイチかもしれないが、残りはほぼ山手線周辺なので今後は楽。

別の機会で東京方面に行ったついでにもできるし。

赤マーカーが今回集めた駅

10駅制覇景品のアクスタ。「すごいヤツ」…?(好きな車両だからいいけど)

それではまた次回。

3年の沈黙と読者1号(仮)

どうも、へたりあです。

えー、まず最初に謝らせてください。

 

このブログの存在忘れてました。

いや、正しくは忘れたフリをしてました。

本当にすみません…

 

最後の投稿が2021年の夏だってさ。

その間に中の人は転職し、夢だったJR全線完乗を果たし、相変わらず各地を旅した。

 

「じゃあそれを書けば良かったのでは?」と思ったそこのあなた。

ご名答です。

でも言い訳をするのであれば。

Twitter(現:X)でこと足りてしまうのよ。

その時思ったことをメモって後で記事書くぐらいならその場で投稿できてしまう。

なんと便利であろうか。

 

では、なんで今更また書こうと思ったのか?

出会ってしまったのだ、読者に。

 

今日は「Megalomania Tokyo 4 ドデカフリバ」というクイズのイベントに参加してきた。

この「Megalomania-」は過去4回開催されている大会で、主催が競技クイズ界のビッグネームである水上さん・鶴崎さんということもあって参加枠の争奪戦が激しい。

そこから漏れてしまった人やこれから参加しようとしている人、そして今後の大会に向けての技術チェックも兼ねた、外伝的なイベントだ。(次回の第5回はGW開催)

「フリバ」は「フリーバッティング」の略だよ。

そこで偶然会話を交わした同じ参加者が「記事を読んだ」と言うのだ。

話を聞くと「参考になるかな、と思ってabcの参加記を読んだ記憶がある」との事。

 

これか?↓

hetakuni.hatenablog.com

hetakuni.hatenablog.com

hetakuni.hatenablog.com

いやいや、1ミリも参考にならないと思うぞ。(失礼)

こんな泡沫プレイヤーの参戦記読む時間があったらAnki回した方がいいって。

 

でもね、ちょっと嬉しかった。

大学生期間が被ってもいない見知らぬ年下クイズプレイヤーにも、自分の記事が読んでもらえていた事が分かったから。

聞くと彼は後3回abcに出るチャンスがあるらしい。

頑張ってほしい。

こんな自分でも丸4年かければ☆もらえたんだから大丈夫だって。

 

とりあえず、今まで惰性だったクイズの勉強再開しないと。

そして、このブログも更新しないと。

旅するかしないか、それが問題だ。

手帳の今月のカレンダーを見る。
そこには確かに3連休がある。

 

視線を上げてテレビを見る。
流れるのは「今日も感染者最多更新」のニュース。

 

その時、脳内に天使と悪魔が現れ、囁き合戦が始まった…!

 

天使の囁き

「ダメよ、家にいないと!感染リスクが高まるのよ!」

 

あの、TLにいる知人、日本中あちこち行きまくってるんですけど。
それに、俺がやる「旅行」って、基本一人で鉄道に乗って、たまに観光する程度なんですけど。大騒ぎする訳でもないし。

 

「観光地や鉄道は逃げない!今じゃなくてもいいはずよ!」

 

…は?
E4系のラストランは10月1日だぞ?一番好きな新幹線車両ぐらい、最後のお別れをさせてくれよ。
それに「観光地は逃げない」だ?会社潰す気か?
うちの会社、オリンピック当て込んで投資したのに空振ったんだぞ?社食は撤退するし、ボーナスも大幅減額だぞ?まあ、出ただけマシだと思うけど。
散々苦労して就職した会社が潰れてみろ。泣くぞ?病むぞ?
同じ業界に関わる者として、苦しみが痛いほど分かってしまう。救うにはクラウドファンディングでもやってない限り、旅するしかないのよ。

 

悪魔の囁き

「そうそう、皆行ってるんだから大丈夫だろ!」

 

…いや、それは行っていい理由に全くなってない。
そういう気の緩みが現状を招いたのではないか?先人の過ちを繰り返してしまえと言うのか?
感染してしまった時に白眼視されるのは俺だぞ?

 

「それにお前、今度ワクチン受けるんだろ?なら大丈夫じゃねえか!」

 

…あのねえ、ワクチン受けりゃ絶対にかからないって訳じゃないのよ。重症化するリスクが下がるってだけだし。それに、変異株も流行ってるし。リスクをゼロにはできないけど、なるべくゼロに近付けることは大事じゃないか?

 

「「じゃあ、結局どうするのよ!?!?」」

 

 

…とまあ、くだらない寸劇を演じてみたけど、結局「感染しなかった者が正義」ってことじゃないかな。旅に出るか出ないか、もう少し悩ませて。

AQL2020をざっくばらんに振り返る

2021年2月28日、日本最大規模のクイズ団体戦「AQL2020」が幕を閉じた。
自分は一般の部でベスト4に進出した「AKQJT(ロイヤルフラッシュ)」の一員としてこの大会に参加した。ここでは記憶にある限りでその模様を振り返る。

 

2020年11月29日 千葉リーグ

招集を受けたのはabcの直前ぐらい。日程面が心配だったものの、上手く調整できたので参加。同じ枠でペアを組んだのは会長ののとーんさん。得意ジャンルが被らなかった事もあってとてもやりやすかった。

vs.渋谷幕張 200-1

最初の試合、Discordのマイクが入らず誤答扱いになる幸先悪いスタート。結局僕らの枠は1点のまま勝利。ホント申し訳なかった…。

vs.NeoQurio 200-96

3試合目でようやく初日。確か「功利主義」を答えた気がする。この時点で馬阿蘇さんととらのこさんの二人を中心に得点を重ねるスタイルが確立。

vs.Qurio 200-60

全勝同士の天王山。馬阿蘇さんが誤答で点を失い、相手にリーチをかけられる苦しい状況。馬阿蘇さんの指示で「なるべく得失点差を小さくする戦い方」にシフト。2019年大会では得失点差で全国を逃していただけに、重く見ていたのだろう。日本史問題をQurioのすいう君に押し負けて「しまった…!」となったが誤答で救われる。そこから相手が二枠封鎖になり、攻勢をかけて逆転勝ち。自身は2〇。

終わってみれば6戦全勝で優勝。自身通算6〇はまあまあなんじゃないかな。

 

2021年1月11日 全国大会Cリーグ

全国大会も仕事を調整して参加。ここからよっしーさんが加わってくれた。あまり面識が無かったけれどめちゃくちゃ強かった。先輩達すげえ。
前日には後輩達が参加して健闘していたので、勝手に励みにさせてもらった。

vs.筑波大学 200-24

abcで活躍したオオツカ君がいるし、問題が東北大学の問題だったので難しくなりそうだな~と思っていたが、3-3-4-2-3という理想に近い点の稼ぎ方で勝利。自身は「服部平次」を意気揚々と正解。

vs.東北大学 200-144

自身ではここが一番調子良かった。「ベルギー」とか正解して3〇。ただチームは司令塔の馬阿蘇さん枠が2×封鎖で、相手に二枠リーチをかけられるピンチ。最後はおひでんぽさんがもの凄いスラッシュで「桃太郎電鉄~昭和平成令和も定番!~」を答えて勝利。

vs.TRIQ 200-6

終始押し切って快勝。自身も1〇したが、この試合は記憶がほぼ無い…。TRIQの皆様すみません。

vs.名古屋大学 200-144

僕らの枠が1点のまま推移していく。こっちも用意していた九州新幹線西九州ルート問題に反応してしまい、のとーんさんが誤答してしまう。点は128-144のビハインド、リーチは自分達の5枠だけ。馬阿蘇さんの指示を受ける。相方は誤答で慎重になっていたので、自分がいくしかない。
上毛かるたの「に」の読み札にも「日本最初の」と詠まれている…
上毛かるた?人物が詠まれたものはMOしたけどどれでもない…「群馬県」「日本最初」…あっ!
\ピーン/「…富岡製糸場!」\ピコピコーン/
なんとこれが限定問題数いっぱいの40問目。逆転勝ちのW.A.を決めた。終了後、のとーんさんが取り乱していた。勝てて良かった…。

vs.熊本大学 200-18

1問目を押し、北海道大学の問題だから「札幌」でいいだろ」と軽い気持ちで回答したらもう一度を取られ、「札幌駅」と答え誤答。この試合で正解を出せなかったものの、チームは勝利で5連勝。

vs.北海道大学 12-200

序盤は自身も正解するなどして一進一退。しかし馬阿蘇さんの誤答から相手の攻勢を受けて完敗。本日初黒星。仮に誤答が無かったとしても負けていたのでどうしようにもない。

vs.島根クイズサークル 54-200

今回の大会でなにかと話題になった松江高専勢の「おふざけパフォーマンス」を受ける。そして彼らが強い。得意ジャンルも押し負けてしまった。追い込まれてから攻勢をかけたものの、自身も含め三枠封鎖になってしまい敗北。これで2連敗、決勝トーナメント進出に黄色信号が灯る。

vs.なおみ 200-144

お互い勝ったら突破、負けたら敗退が決まる大一番。しかも相手は学生レギュの大会で活躍した人が揃う。こういうところで学生レギュを離れて一番時間が経っていない自分が活躍するべきなんだろうけどね…。相手に先にリーチをかけられてしまうが、ここから得点源の二人が怒涛の連続正解。最後はとらのこさんが正解して大逆転勝利。いやホント心強い…。

 

同日 全国大会準々決勝 vs.札Q

グループ2位で突破して準々決勝、相手は北海道オールスターとも言うべき札Q。試合前に馬阿蘇さんから「ここまで来て札Qとやれるのはボーナスゲームだと思って、気負わずやりましょう!」の声がかかる。大会を通して、馬阿蘇さんの指示や声掛けにはめちゃくちゃ助かった。

一本目 160-200

「椿」の問題。得点源の二人を中心に攻めて四枠リーチまでいったが、最後は「佐野恵太」を正解されて敗北。実はこっちが用意した問題にも「佐野恵太」があったのだが、逆に慎重になってしまった面があった。

二本目 200-108

こっちが選んだのは後輩達「KQK」の問題。学生が作った問題というのもあり、jsoさんに次々と正解されてしまう。120-108と点だけ見れば勝っているが、相手は1点の二枠がリーチ、一方こっちは同じく1点だった自分の枠だけにリーチがかかっていた。相手の2枠がチャージをかけるも誤答、勝負は札Q4枠vs.AKQJT5枠の運命戦となった。
音尾琢真、戸次…\ピーン/
ボタンが光っていたのは自分だった。一瞬「音尾琢真」が「後藤拓実」に聞こえてしまい「四千頭身」がよぎったが、次の「戸次重幸」で修正できた。
「TEAM NACS!!!」\ピコピコーン/
よりによってこの重要な場面で北海道問題が飛んできたが、『水曜どうでしょう』のファンだったお陰で勝利。これで次につなげられた。

三本目 200-180

相手が選んだのは「答」の問題。誤答もありつつ一進一退の攻防が続いた。自分はかずすけさんが「コンクラーベ」を押し勝って正解したのが凄かったり、馬阿蘇さんがXYZの振りから「ズボンのチャックが開いている」を正解してその知識の幅広さに驚いたりしていた。1点だった相手の3枠・4枠に立て続けに正解されて突き放された後、自身が「30日(特別国会の招集期限日数)」を正解するなどして食い下がる。しかし、「栃木県(魅力度ランキング最下位になった都道府県)」を取られてしまい、72-180。しかも相手は全枠リーチと追い込まれた。ここで馬阿蘇さんから唯一1点だった4枠にチャージの指示がいく。
『恋とはどんなものかしら?』…」\ピーン/
直後、4枠のsummerさんが指示通り押し勝つ。時間いっぱいを使って絞り出した。
「…『フィガロの結婚』」\ピコピコーン/
いや流石すぎる。指示を出せる方も凄いけど、その指示を実行してしまうのが凄い。KQKに入会した当時のあの心強いsummerさんそのままだった。これで144-180。こっちも三枠にリーチがかかり、進行側も興奮しているのが分かった。そして次の問題。
高い山の上でお湯を沸かす…\ピーン/
押し勝ったのはとらのこさん。自分は「高い山の上」というフレーズから「ブロッケン現象」と推測して押したが3番目。2番目は相手だった。とらのこさんは「お湯を沸かす…」と問題文を確認し、時間ギリギリで回答した。
「…低くなる?」\ピコピコーン/
速報Twitterでも流れた通りの大大大逆転勝ち。まさに「死闘」という言葉が似合う試合だった。

 

2021年2月28日 全国大会準決勝 vs.クイズサークル「椿」

遂に来た準決勝。相手は優勝候補の椿。馬阿蘇さんやのとーんさんは「楽しもう!」と言ってくれたが、生放送ということもあり自分はガッチガチに緊張していた。それはそれは、お茶を飲んで、掌に人を書いて飲み込み、森永の大粒ラムネを食べるを繰り返すほど。

試合序盤は「自由落下」「ヘロドトス」「リコール」といった押し合いになりそうな問題から「個包装」といった柔らかい問題までこっちが取れていい流れ。相手に早い段階で封鎖枠ができるなど、優勢に進められていた。自身も「四国アイランドリーグplus」を正解できて、徐々に落ち着けていた。スコアは72-54となっての問題だった。
1953年の今日2月28日、衆議院予算…\ピーン/
押し勝ったのはシラカタさん。時事問題や日付問題は事前に共有していたこと、そしてシラカタさんの得意ジャンルだったこともあり反応できたんだと思う。しかし、ここからどれを問うか。 
「…西村栄一!」\ブブー/
難易度でいえば恐らく一番難しい「言われた人」を答えたのがこの人らしい。しかし、正解は「言った人」の「吉田茂」。得点は1/3で相手の封鎖も解除。手痛い。
直後に馬阿蘇さんから指示が出る。後で聞くと自分達5枠に指示しなかったことを悔やんでいたが、自分の中では分かっているつもりだった。5枠は3点持っている。無理する必要は無い、100%の押しをする。その次の問題。
繫殖期は北極圏で、非繫殖期は…\ピーン/
押したのは自分だった。何度か聞いた問題、世界一の渡り鳥。100%の自信があった。
「…きょくあじっ、きょくあしざし!」\ブブー/
正解は「キョクアジサシ」。なぜ途中で変えてしまったのか。噛んだことに違和感を感じてしまったのか。今の自分では正直分からない。だが生物の固有名詞、言い切ってしまった以上、「もう一度」のチャンスは無い。これでまた1/3。本当に申し訳ない…。
その後は相手に解答権を渡さぬよう、誤答もありつつチーム全体で攻勢をかけた。スコアは12-81となっての問題。
瀬戸内海の淡路島にある3つの都市…\ピーン/
押し勝ったのはおひでんぽさん。これは間違いないと自分も思った。
洲本市!!!」\ブブー/
正解は「南あわじ市」。マジか…!はっきり言って、この振りからの答えは「洲本市」以外聞いたことが無かった。しかし、『ナナマルサンバツ』でも紹介されていた「天橋立理論」に基づけば、確かに「淡路市」「洲本市」「南あわじ市」の中では最後が浮いているとも考えられる。これは誰も悪くない。ただ、こっちがツイていなかった。
その後、諸般の事情で我々に馴染み深い「コダック」を取るなどしたが、最終スコアは12-54。ここでAKQJTのAQL2020は終わった。試合後、のとーんさんがかけてくれた言葉で少し気が軽くなった。本当にありがたい。

 

 

正直abc終了後、クイズにおける目標を見失っていた。また私生活も思うようにいかず精神的に限界となった。それでもこうして、微力ながら全国ベスト4に貢献できたことは、今後の自信にもなった。大会関係者の皆様、そして、AKQJTのチームメイトの皆様、本当にありがとうございました。

象牙の塔であぐらをかいて

(早速ブログが三日坊主になっている事に突っ込んではいけない)

 

2020年もあと一か月らしい。今年は世間的にもいろいろありすぎた年だったと思うけど、個人的にもいろいろありすぎた。

特にこの一年が一番「自分という存在」について考えたと思う。

 

 せめて自分が好きな事には正直に生きよう。

 僕はある時にこう決心した。それは特に生まれ持った才能であったり容姿であったりしたものが無かった自分の、世間一般に対する一種の反抗だったのかもしれない。

それ以降、人生における選択の基準は「自分が好きな事」になっていった。高校は入りたい部活がある学校に、大学は研究してみたい学問がある学校を選んだ。そのおかげか、部活やサークル、ゼミで一定数の交友関係を持てた。

いつの間にか「趣味活動を行う事でようやく自分が何者かでいられる」と考えるようになっていた。俗世間を離れて楽しむ世界を象牙の塔というらしいが、まさにそこに籠っていたと言っていいだろう。

 

さて、大学では元々興味があったクイズ研究会に所属した。
今思うと先輩方は全員強かったし、同期には高校クイ研の出身が多かった。そんな中でも、昔からクイズ番組とか雑学系の番組を好んで見ていたり、鉄道やスポーツといった他の趣味で得た知識があったので「そこそこ」楽しくできていた。
1年生の秋に初めて参加した大会「第9回東日本新人王」では予選2勝を果たして先輩に驚かれた事は今でも覚えている。(その後参加した第10・11回大会でも2勝止まり。数々開催される大会の中でもかなり規模の大きいこの大会で、なぜクイズ用の勉強ほぼやってなかった状態で2勝もできたのか今となっては謎。)

その後はインカレサークルにも参加するようになって、北は北海道から南は九州まで交友関係は広がった。大会とかを通して、社会人の方々とも交流する事ができた。
クイ研に入ってクイズをやっていなければ、自分はここまで交友関係を広げられるスキルは無かっただろう。

 

この時点で、クイズプレイヤーという「何者」かでいられた。
そして、そこである程度満足してしまっていたと思う。

 だから、同期が「abc」や「STU」などの大きな大会で上位進出を目指して励む中、あまり苦に感じないぐらいのペースでクイズを続けた。皆が「象牙の塔」の中でも上の階を目指す中、自分は1階でのんべんだらりとあぐらをかいていた。俗世間から離れられただけで、それでよかったのだ。

そうしている内に、どんどん差は開いた。大会で同期や後輩が活躍する中、大抵最初のペーパーテストで脱落してその姿を眺めるだけの事が多くなった。(参加者が多い大会では最初のペーパーテストで人数が絞られる。そこで負けると、早押しボタンを押す機会も無く大会を終える事もザラにある。)

クイズ研究会自体も低迷した。学生サークル日本一を決める大会「EQIDEN」で優勝経験もあるサークルだったが、入会後は予選を突破する事もできなくなっていた。傍から見れば、自分の代のせいで弱体化したと思われても仕方がなかった。「大会で結果を出す事にこだわらず、各個人が自由にやればいいじゃないか」という言葉もあったが、1年の時に強い先輩方を見ていて、「自分が所属しているこのサークルは凄いんだ」という印象がどうしても離れなかった。

これだけ受けてもまだあぐらをかいていた、と言うのは嘘になる。少しは危機感みたいなものは感じたし、問題集の読み込みや問題の自作は増えたと思う。でも、問題集を読んでいるとどうしても暗記帳は参考書を読んでいる感覚になって、そう簡単に頭には入ってこなかった。よくクイズをしていると「その問題は第〇回の△△という大会で××さんが正解してた」という会話を耳にしたが、「そんなのどうやったら覚えられるんだよ!」と毎回心の中でツッコミを入れて、その度に周りが持っていて自分が持っていないモノを痛感していた。「ペーパーテスト通過できるように精進します」と言ってはいたけれど、そう言っておかないと自分が見向きもされなくなるような気がしていたからかもしれない。

 

競技クイズが好きだ。でも強くなろうとするとその過程は苦しい。

 他の世界でもあてはまる当然の事であるが、「象牙の塔」で俗世間から離れようとしていた自分にとっては直視したくない事だった。

そんな自分に現実を叩きつけるイベントが発生した。

 

そう、就職活動である。

周りの就活生は皆それぞれ、自分に自信を持っているように見えた。それは決して自意識過剰とかいう類ではなく、それを裏付ける結果という「証拠」があった。
自分もガクチカを問われたら迷いなく「競技クイズ」と答えていた。だが、そもそも競技クイズの世界が一般にとっては分かりづらい。その度にテレビクイズとの違いを熱心に説明してはみたけれど、その後に出す「頑張った証拠」が自分には無かった。また、競技クイズを「特技」と言い切れなかった事も大きい。俗世間から離れていたから、比べる指標も狭かったから、「周りと比べて秀でています!」とも言えなかったのだ。

結果第一志望の業界は全滅。一度出した履歴書は全て尽きた。7月末に内定を貰うまで、周りはほとんど決まっていた中闘っていた。

 

結果が出なければ、何もやっていないのと同じである。

 まるでそう言われているようだった。趣味を否定されたら、自分は何者でもなくなってしまうように感じた。

今までクイズを通して交友関係を持っていた人たちも急に怖くなった。「結果を出さない自分を、同業者だとは思っていないのではないか?」という一種の人間不信に陥った。一人で行動するのは苦に感じない人間だったが、「孤独」は怖かった。「象牙の塔」から締め出されたら、一人で生きていける自信なんて全く無かった。

そして夏休み明けの学園祭で会ったOBからの一言がとどめの一撃となる。

 

へたりあ君ってさ、紙落ち芸人だよね。

 まるで締め出し前の最後通告である。趣味という「象牙の塔」から締め出されたら、自分は自分なんだというアイデンティティ、そして今まで得たものを全て失ってしまう。そう感じた。

 

曲がりなりにもここまでやってきた事、そしてクイズが好きでやっている事を証明したい。
そのためには、結果が必要なんだ。

 こう考えを改めてからは取り組む熱量が違った。暗記帳としか思えなくても、問題集を読み込んだ。傾向を研究してノートにもまとめた。正直「楽しい」とは感じなかった。それでも自分を押し殺して取り組んだ。

その結果「STU」におけるペーパーテスト未通過者限定の大会「BNS2」で念願のペーパーテスト通過。最後の挑戦となった「abc」では特別な情勢下とはいえ、最後の一枠に滑り込む劇的な形でペーパーテスト通過を果たした。早押しで正解する事や勝ち抜けを経験する事もできた。

それぞれの大会で貰ったネームプレートは現在、額縁の中に入れて部屋に飾っている。
緑の紙の両面に、順位と名前が印刷されたコピー用紙が貼られてあるだけの、自分でも作れてしまいそうな代物。それでも、自分にとっては趣味、そして何者かである大切な「証明書」だ。

「abc」の後、あるOBの方から「苦労人である君が報われて良かった。」と言われた。嬉しい反面、違和感も覚えた。自分は今まであぐらをかいてしまっていた分を、短い時間で必死に取り返しただけだ。だから「苦労人」という言葉は、自分には勿体ないと思う。

 

「abc」から3ヶ月以上が経った。あれから問題集の類はほぼ手を付けていない。今の職場では満足に趣味を続ける事は難しいと判断した自分は、次に向けて勉強を始めたのも要因だ。かといってクイズ熱が冷めた訳ではなく、先日もOBサークルの一員として団体戦に出場した。象牙の塔」に籠る生き方が正しいとは思えないが、今更それ以外の生き方ができるとも思えない。

 

自分が自分であるために、今日も明日も未来でも「好き」を貫く。

abc18th振り返り③ 感想いろいろ

(振り返り②の続き)

 

運営及びスタッフの皆様へ。

この状況下での開催はかなり勇気のいる決断だったと思います。
EQIDENを中止にしたり、人数を絞るために四択をオンラインで行ったりと、「何としてでもabcは途絶えさせない」という熱い気持ちが伝わってきました。
特に大会終了後の萬谷さんの挨拶には胸を熱くさせられました。
次回以降はスタッフとして大会に参加したいと思っていますが、その心意気を忘れぬようにしたいと思います。

 

KQKの現役勢へ。

今回参加できなかった事は本当に悔しいと思います。
しかし、誰も責める事はできないと思っています。
この悔しさをバネに、次回以降のabcや各方面の大会での活躍に繋げて欲しいと思います。
襷杯やEQIDEN選考会の結果から見ても分かりますが、皆強いので自信を持って。
OBとして、abcやEQIDENでの快進撃を楽しみにしてます。

 

MAGIQの同期へ。

大1の10月に初めて参加してから4年近く、常に切磋琢磨する同期がいたからこそ、学生競技クイズ生活を続けられたと思っています。
皆結果を出していくなかで疎外感を感じる時期もありましたが、それでもスカクイや例会に誘ってくれたりした事でモチベーションに変えられました。
最後の方に結果を出せた事で、ようやく応える事ができたと思います。

 

今回の大会に納得がいっていない皆様へ。

今回自分が参加できたのは本当に運が良かったものだと思っています。
当日参加できなかった中に、自分よりも強い人を何人も知っています。
もし普通に開催されていたら、恐らく壇上には立っていません。
どうか一つ、今回を「貸し」にしてください
今後社会人として、大会の運営や、無期限延期になっている個人杯「下手好杯」の実施、出せたらいいなと思っている問題集の刊行などを通して、少しでも返していきたいと思っています。

 

最後に、この4年半の間に関わった全てのクイズ関係者へ。

本当に沢山ご迷惑をおかけしたと思います。
「おめでとう」「めでたい」「感動した」のコメントの多さからも、その事をひしひしと感じています。
ただのクイズ番組好きがここまで成長する事ができたのも、皆様のおかげです。
今後も社会人としてクイズをマイペースに続けていく予定ですので、変わらぬご交友とご指導、よろしくお願いします。

 

とりあえず2件ほどご飯奢ってもらえるらしいので、それを楽しみに社会人生活を生き抜こうと思います。

最後まで拙い文章に付き合っていただき、ありがとうございました。

 

                                   へたりあ