百代の過客

旅行記とか日々を気ままに書いていく予定です

象牙の塔であぐらをかいて

(早速ブログが三日坊主になっている事に突っ込んではいけない)

 

2020年もあと一か月らしい。今年は世間的にもいろいろありすぎた年だったと思うけど、個人的にもいろいろありすぎた。

特にこの一年が一番「自分という存在」について考えたと思う。

 

 せめて自分が好きな事には正直に生きよう。

 僕はある時にこう決心した。それは特に生まれ持った才能であったり容姿であったりしたものが無かった自分の、世間一般に対する一種の反抗だったのかもしれない。

それ以降、人生における選択の基準は「自分が好きな事」になっていった。高校は入りたい部活がある学校に、大学は研究してみたい学問がある学校を選んだ。そのおかげか、部活やサークル、ゼミで一定数の交友関係を持てた。

いつの間にか「趣味活動を行う事でようやく自分が何者かでいられる」と考えるようになっていた。俗世間を離れて楽しむ世界を象牙の塔というらしいが、まさにそこに籠っていたと言っていいだろう。

 

さて、大学では元々興味があったクイズ研究会に所属した。
今思うと先輩方は全員強かったし、同期には高校クイ研の出身が多かった。そんな中でも、昔からクイズ番組とか雑学系の番組を好んで見ていたり、鉄道やスポーツといった他の趣味で得た知識があったので「そこそこ」楽しくできていた。
1年生の秋に初めて参加した大会「第9回東日本新人王」では予選2勝を果たして先輩に驚かれた事は今でも覚えている。(その後参加した第10・11回大会でも2勝止まり。数々開催される大会の中でもかなり規模の大きいこの大会で、なぜクイズ用の勉強ほぼやってなかった状態で2勝もできたのか今となっては謎。)

その後はインカレサークルにも参加するようになって、北は北海道から南は九州まで交友関係は広がった。大会とかを通して、社会人の方々とも交流する事ができた。
クイ研に入ってクイズをやっていなければ、自分はここまで交友関係を広げられるスキルは無かっただろう。

 

この時点で、クイズプレイヤーという「何者」かでいられた。
そして、そこである程度満足してしまっていたと思う。

 だから、同期が「abc」や「STU」などの大きな大会で上位進出を目指して励む中、あまり苦に感じないぐらいのペースでクイズを続けた。皆が「象牙の塔」の中でも上の階を目指す中、自分は1階でのんべんだらりとあぐらをかいていた。俗世間から離れられただけで、それでよかったのだ。

そうしている内に、どんどん差は開いた。大会で同期や後輩が活躍する中、大抵最初のペーパーテストで脱落してその姿を眺めるだけの事が多くなった。(参加者が多い大会では最初のペーパーテストで人数が絞られる。そこで負けると、早押しボタンを押す機会も無く大会を終える事もザラにある。)

クイズ研究会自体も低迷した。学生サークル日本一を決める大会「EQIDEN」で優勝経験もあるサークルだったが、入会後は予選を突破する事もできなくなっていた。傍から見れば、自分の代のせいで弱体化したと思われても仕方がなかった。「大会で結果を出す事にこだわらず、各個人が自由にやればいいじゃないか」という言葉もあったが、1年の時に強い先輩方を見ていて、「自分が所属しているこのサークルは凄いんだ」という印象がどうしても離れなかった。

これだけ受けてもまだあぐらをかいていた、と言うのは嘘になる。少しは危機感みたいなものは感じたし、問題集の読み込みや問題の自作は増えたと思う。でも、問題集を読んでいるとどうしても暗記帳は参考書を読んでいる感覚になって、そう簡単に頭には入ってこなかった。よくクイズをしていると「その問題は第〇回の△△という大会で××さんが正解してた」という会話を耳にしたが、「そんなのどうやったら覚えられるんだよ!」と毎回心の中でツッコミを入れて、その度に周りが持っていて自分が持っていないモノを痛感していた。「ペーパーテスト通過できるように精進します」と言ってはいたけれど、そう言っておかないと自分が見向きもされなくなるような気がしていたからかもしれない。

 

競技クイズが好きだ。でも強くなろうとするとその過程は苦しい。

 他の世界でもあてはまる当然の事であるが、「象牙の塔」で俗世間から離れようとしていた自分にとっては直視したくない事だった。

そんな自分に現実を叩きつけるイベントが発生した。

 

そう、就職活動である。

周りの就活生は皆それぞれ、自分に自信を持っているように見えた。それは決して自意識過剰とかいう類ではなく、それを裏付ける結果という「証拠」があった。
自分もガクチカを問われたら迷いなく「競技クイズ」と答えていた。だが、そもそも競技クイズの世界が一般にとっては分かりづらい。その度にテレビクイズとの違いを熱心に説明してはみたけれど、その後に出す「頑張った証拠」が自分には無かった。また、競技クイズを「特技」と言い切れなかった事も大きい。俗世間から離れていたから、比べる指標も狭かったから、「周りと比べて秀でています!」とも言えなかったのだ。

結果第一志望の業界は全滅。一度出した履歴書は全て尽きた。7月末に内定を貰うまで、周りはほとんど決まっていた中闘っていた。

 

結果が出なければ、何もやっていないのと同じである。

 まるでそう言われているようだった。趣味を否定されたら、自分は何者でもなくなってしまうように感じた。

今までクイズを通して交友関係を持っていた人たちも急に怖くなった。「結果を出さない自分を、同業者だとは思っていないのではないか?」という一種の人間不信に陥った。一人で行動するのは苦に感じない人間だったが、「孤独」は怖かった。「象牙の塔」から締め出されたら、一人で生きていける自信なんて全く無かった。

そして夏休み明けの学園祭で会ったOBからの一言がとどめの一撃となる。

 

へたりあ君ってさ、紙落ち芸人だよね。

 まるで締め出し前の最後通告である。趣味という「象牙の塔」から締め出されたら、自分は自分なんだというアイデンティティ、そして今まで得たものを全て失ってしまう。そう感じた。

 

曲がりなりにもここまでやってきた事、そしてクイズが好きでやっている事を証明したい。
そのためには、結果が必要なんだ。

 こう考えを改めてからは取り組む熱量が違った。暗記帳としか思えなくても、問題集を読み込んだ。傾向を研究してノートにもまとめた。正直「楽しい」とは感じなかった。それでも自分を押し殺して取り組んだ。

その結果「STU」におけるペーパーテスト未通過者限定の大会「BNS2」で念願のペーパーテスト通過。最後の挑戦となった「abc」では特別な情勢下とはいえ、最後の一枠に滑り込む劇的な形でペーパーテスト通過を果たした。早押しで正解する事や勝ち抜けを経験する事もできた。

それぞれの大会で貰ったネームプレートは現在、額縁の中に入れて部屋に飾っている。
緑の紙の両面に、順位と名前が印刷されたコピー用紙が貼られてあるだけの、自分でも作れてしまいそうな代物。それでも、自分にとっては趣味、そして何者かである大切な「証明書」だ。

「abc」の後、あるOBの方から「苦労人である君が報われて良かった。」と言われた。嬉しい反面、違和感も覚えた。自分は今まであぐらをかいてしまっていた分を、短い時間で必死に取り返しただけだ。だから「苦労人」という言葉は、自分には勿体ないと思う。

 

「abc」から3ヶ月以上が経った。あれから問題集の類はほぼ手を付けていない。今の職場では満足に趣味を続ける事は難しいと判断した自分は、次に向けて勉強を始めたのも要因だ。かといってクイズ熱が冷めた訳ではなく、先日もOBサークルの一員として団体戦に出場した。象牙の塔」に籠る生き方が正しいとは思えないが、今更それ以外の生き方ができるとも思えない。

 

自分が自分であるために、今日も明日も未来でも「好き」を貫く。

abc18th振り返り③ 感想いろいろ

(振り返り②の続き)

 

運営及びスタッフの皆様へ。

この状況下での開催はかなり勇気のいる決断だったと思います。
EQIDENを中止にしたり、人数を絞るために四択をオンラインで行ったりと、「何としてでもabcは途絶えさせない」という熱い気持ちが伝わってきました。
特に大会終了後の萬谷さんの挨拶には胸を熱くさせられました。
次回以降はスタッフとして大会に参加したいと思っていますが、その心意気を忘れぬようにしたいと思います。

 

KQKの現役勢へ。

今回参加できなかった事は本当に悔しいと思います。
しかし、誰も責める事はできないと思っています。
この悔しさをバネに、次回以降のabcや各方面の大会での活躍に繋げて欲しいと思います。
襷杯やEQIDEN選考会の結果から見ても分かりますが、皆強いので自信を持って。
OBとして、abcやEQIDENでの快進撃を楽しみにしてます。

 

MAGIQの同期へ。

大1の10月に初めて参加してから4年近く、常に切磋琢磨する同期がいたからこそ、学生競技クイズ生活を続けられたと思っています。
皆結果を出していくなかで疎外感を感じる時期もありましたが、それでもスカクイや例会に誘ってくれたりした事でモチベーションに変えられました。
最後の方に結果を出せた事で、ようやく応える事ができたと思います。

 

今回の大会に納得がいっていない皆様へ。

今回自分が参加できたのは本当に運が良かったものだと思っています。
当日参加できなかった中に、自分よりも強い人を何人も知っています。
もし普通に開催されていたら、恐らく壇上には立っていません。
どうか一つ、今回を「貸し」にしてください
今後社会人として、大会の運営や、無期限延期になっている個人杯「下手好杯」の実施、出せたらいいなと思っている問題集の刊行などを通して、少しでも返していきたいと思っています。

 

最後に、この4年半の間に関わった全てのクイズ関係者へ。

本当に沢山ご迷惑をおかけしたと思います。
「おめでとう」「めでたい」「感動した」のコメントの多さからも、その事をひしひしと感じています。
ただのクイズ番組好きがここまで成長する事ができたのも、皆様のおかげです。
今後も社会人としてクイズをマイペースに続けていく予定ですので、変わらぬご交友とご指導、よろしくお願いします。

 

とりあえず2件ほどご飯奢ってもらえるらしいので、それを楽しみに社会人生活を生き抜こうと思います。

最後まで拙い文章に付き合っていただき、ありがとうございました。

 

                                   へたりあ

abc18th振り返り② 大会当日

(振り返り①の続き)

 

前日が遅番で帰宅が23時、そこから風呂と夜食を食べて寝ようとするも、不安に駆られてAnkiを回し始め、更にはいつも使っていたバインダーを探し出すのに苦労し、就寝は日付をまたいだ1時半となった。

 

八千代までの電車内では「駅メモ」をやりつつPCを開き、直近のペーパーテストで間違えた問題の復習。
東葉高速鉄道をコンプリートするべく、一旦会場最寄をスルーしたら「駅メモ」上でいくたと邂逅。
東葉勝田台から折り返し、村上から歩いて会場に到着。

 

11時、いよいよ筆記クイズ開始。
以下に印象的な問題をまとめる。

【1】連比(×)・・・開始5秒で「知らね~~~」となった。
【5】鳴滝塾(〇)・・・5秒ぐらい「適塾」から抜け出せなかった。
【8】石ノ森章太郎(〇)・・・一瞬面食らったが、JR仙石線を走るラッピング電車に仮面ライダーが描かれていたのを思い出した。
【9】シーア派(〇)・・・最初「スンナ派」と書いたが、「イランって書いてあるじゃん!」となり修正。
【25】インシデント(×)・・・普段言う言葉を考えたら「ハプニング」としか出てこなかった。
【26】2平方センチメートル(×)・・・半径を直径と見間違える「テストあるある」。
【33】常用対数(〇)・・・最初「乗用対数」と書いていて不安になり、慌ててひらがな書きにしたことで事無きを得る。
【38】下駄履きマンション(×)・・・「下駄マンション」と回答。検索しても出てこなかったので恐らく不正解。
【42】山本耀司(〇)・・・解いた対策ペーパーで見かけたので書けた。
【49】聴取率(〇)・・・いつぞやのSTU敗復で「ちょうしゅう率」と書いて脱落したので今度は間違えない。
【58】ストックホルム(×)・・・なぜか自信満々に「オスロ」と回答。ノーベルはスウェーデン人なのになあ。
【68】N700S(〇)・・・鉄道ヲタク万歳。終了後に遭遇した信大勢に「へたりあさんなら分かるだろうなと思ってました」と言われた。
【70】向田邦子(〇)・・・「うわ~これ誰だっけ~とりあえず知ってる中で一番有名だと思う放送作家を書くぞ~」と書いたら合ってた。
【79】パブリックドメイン(〇)・・・いつも「パブリックアドレス」と迷うやつ。
【85】『シャイニング』(〇)・・・対策ペーパーで「『サイコ』」と間違えたので書けた。
【88】モーブ(〇)・・・同期スカクイで出題されて、そこで覚え直していた。
【92】緩和ケア(×)・・・よく見たら「グリーフケア」とは別物なんですね。
【93】サウジアラムコ(〇)・・・STU時事対策として作問していたのが活きた。
【98】カミーユ・コロー(×)・・・作者も作品名も聞いた事があったが、「バルビゾン派」というワードが無いと思い出せなかった。

昼飯後、久々に会えた同期たちと談笑。

 

いよいよ運命のターンオーバー。
1位𠮷原君の92点もえぐかったが、興梠さんの四択98点の方が衝撃的だった。
秘境が5位&1抜けとか、短文も長文もできて最強か?
いくたはとうに抜けてると思っていたので初通過に驚いた。
haoはいつも通り壇上を楽しんでいた。

そして第4組ターンオーバー。
組トップは加瀬、なんとなく予想できていたが、やはり強い。
黄色にすいう、ミルフィーユも現役勢不参加と聞いていたので良かった。
緑のターンオーバー、自分の名前はまだない。

そしてラスト1枠、第48位の発表。
「抜けるなら多分48位、落ちるなら49位がいいかな」
信じてもらえないだろうが、朝からそんな風に考えていたので、ただ祈る。

「Last place, turn over!」

 

そこには、確かに、自分の名前が、あった

 

興奮のあまりに立ち上がって絶叫し、高菜りり、hamuta、そして近くにいた心太と喜ぶ。
同期からの祝福の声が、最高に気持ち良かった。

壇上に上がってプレートを確認し、間違いではない事を確かめる。
正直勝とうだなんて考えていなかった。
最初で最後の大舞台、全て出し尽くしてやろうとだけ考えて挑んだ。

 

序盤にユカタン半島を正解し、初ポイント獲得。
指も脳もちゃんと動いている。
いける!

だが、その後はボタンすら点かなかった。
分かる問題も押し負け続けた。
ペーパー対策に重点を置き、スラッシュ研究もあまりやってこなかったから、当然と言われれば当然だった。
結局2R1〇0×で敗退。
それでもやるだけやったから、悔しさは無かった。

その後は観戦。
同期スカクイメンバーで唯一3R進出の秘境を応援するも、惜しかった。
ダメンデル君の戦況をしっかり把握した上での勝ち抜けが素晴らしかった。

 

敗者復活戦に突入。
1stStepは観戦したが、「ラッパ」の問題は完全に「トテチテタ」を待ち構えてしまったので、絶妙な問題だなと思った。
2ndStepは、1stを勝ち抜いた高菜りりとともに6組目に入った。
haoとすいうの一騎打ちは同期として最高に胸アツだった。

いよいよ6組目、壇上に登る。
「21点!」得意なスポーツ問題を、高菜りりに取られる。
サムスン」「Superdry」はどちらもあじあに押し負ける。
あとが無くなった状態。
「中国で暮らした経験をもとに/」でパール・バック!」この押しには自分でも驚いた。
GIS」は知らなかった概念だったのでノーチャンス。

プレイヤーとしての最後のabcは、ここで終戦となった。

FinalStepは、最後まであきらめないいくたの姿勢が印象的だった。

 

その後のSF、Fは観戦しながら手に汗を握った。
W.A.の「千秋楽!」はあまりにもできすぎたシナリオだった。

 

終了後、高菜りり、hamutaも全員百傑入りしていたのを知り、喜んだ。
ラストイヤー組で記念撮影も行えた。
帰路、最寄路線が同じだったダメンデル君と遭遇したので「おめでとう」と伝えた。

 

こうして、学生競技クイズ生活最後の1日が終わった。

最後に、今の心情を文章にしてみようと思う。(振り返り③に続く)

abc18th振り返り① 当日までの軌跡

「abc18th」を無事に終えて、4年5ヶ月に及ぶ学生競技クイズ生活が幕を閉じた。
折角最後なので、自分の言葉で振り返ってみようと思います。

尚、この振り返りは三部作を予定しております。最後までどうかお付き合いください。

 

1月

今となっては幻となったEQIDEN2020選考会でメンバー落ち
「いつも通りのプレーイングをすれば大丈夫」と心を落ち着かせたつもりが過信となってしまったのかな、と今となっては思う。
それを抜きにしても後輩たちの指が早かった。
1週間、問題集も全く読まなくなるほどガチで凹む

その後何とか持ち直し、KQK同期の高菜りりと組んで四択・筆記対策ペーパーを作成。
今となっては時間があるこの時期に作成できて良かった。

 

3月

abc延期を知った直後は「あと5ヶ月猶予ができた」とポジティブにとらえようと試みたが、「EQIDEN出られないし、abcも厳しいかな・・・」という心境。

卒業式や追いコンも中止となり、心は凹む一方。

 

4・5月

社会人生活スタート・・・と思いきや研修直後に緊急事態宣言。
なんと2ヶ月近くも自宅待機を余儀なくされる。
この間問題集読み込みまく・・・れたら良かったのだが、あいにくそんなガツガツできるスペックは無く、マイペースに読んだ程度。

鳥居さんが開催してくれたフリバ交流会には参加して、何とかモチベーションを保つ。

 

6月

8/16に休みを取れない可能性が高い事が判明して凹む。

モチベーション一旦消滅
「四択はオンラインみたいだし、それ受けて一区切りだな・・・」とやさぐれる

 

7月

奇跡的に8/16が休みになる。

モチベーション完全復活
大急ぎで交換した四択対策を解いては反省し、通勤する電車内ではこれまでにまとめたノートを読み返す。

四択クイズ受験し、自己採点88点で無事通過
対策で間違えて必死に覚えた「紡績機の開発者」が出題されてガッツポーズ。
前回大会で百傑を逃していただけに、喜びと安堵もひとしお。
それにしても200位ボーダーが83点は高いよ・・・

筆記に向けて対策開始。
基本問題を抑えるため、過去出場した3度のabc/EQIDENや、abc-west、KQA杯、高校生オープンなどを読み返す。

 

8月

交換で手に入れた筆記対策を解くも、10枚ぐらい解いて全て60点前後。
過去に一度覚えたはずの事柄が曖昧になっている事に気付かされる

ラスト1週間はこれまでに間違えた問題の復習と、自作ノートの読み込みに専念。
大急ぎでMO系のAnkiを作成し、通勤の電車内や仕事休憩中に回しまくった。
時事問題をまとめていなかったが、同期スカクイでかみやんが「できたてニュースクイズを読む会」を実施してくれたので、そこに参加した。

大会4日前に、KQK現役勢の出場辞退を知る。
「現役の分まで頑張るぞ!」的な内容をTwitterに書き込んだら、「部外者が内部事情をべらべらと書き込むな!」と高菜りりに叱られる。
後輩たち、本当にごめんなさい

 

そして運命の当日を迎える・・・(振り返り②に続く)

初夏の房総横断旅

この状況下での旅はかなり迷った。
普段東京方面に通勤しているから尚更だ。
しかし、新年度が始まって数か月、色々要因が重なって精神的にしんどくなってしまった。
だからこれは「必要火急」の旅である。うん。

 

 

まだ梅雨が明けない7月中旬の日曜朝、千葉県の五井駅に降り立った。
千葉駅から5駅、東京駅から総武快速線の君津行きに乗れば1時間程の距離だ。
ここから小湊鉄道に乗車する。

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自前の駅舎を持たず、JRの改札内からの入場となる

小湊鉄道五井駅から上総中野駅に至る私鉄である。
沿線にある観光地としては養老渓谷がある他、近年新たな地質年代区分として登録された「チバニアン」の由来となった地点が存在する。

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五井駅でも「チバニアン」をゴリ押し

ここから乗車した里山ロッコは、かつて同線を走っていたという蒸気機関車を現代に再現した観光列車だ。

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外見は完全に蒸気機関車だが、ディーゼルエンジンで動く

客車の一部は窓のない展望車となっているので、迷わずそこに着席。
9時9分、定刻通りに五井駅を発車。

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客車の中は天井から空を覗ける様になっている

ブロロロロ・・・」見た目とは裏腹にディーゼルエンジン特有の音が鳴る。
「ダン、ダン、ダン、ダン・・・」二軸(一車両あたりの車輪が2本だけ)特有の走行音が響く。
田園風景の中を、最高速度30km/hのトロッコはゆっくりと進む。
雲に覆われていた空は、トロッコが走り出すと青空も覗ける様になっていた。
雨にも備えて上下レインウェアをリュックに入れてきていた筆者だったが、まさに「杞憂」に終わった訳だ。

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夏到来を思わせる車窓

途中、線路に並行した道路を走る車から女の子が手を振ってくれたり、停車駅ごとに地元の方々が物販を行っていたりと、道中は飽きない。

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里見駅で購入したラムネと

田園風景中心だった車窓は、里見駅を機に「里」から「山」へと移り変わる。
水が滴る切通やトンネルを通過する時に涼しく感じられるのも、展望車の特権だ。

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地味に読めない「飯給(いたぶ)」。日本武尊由来の地名らしい

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月崎駅の風鈴も涼しさを演出

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高さ20mと同線最高の橋、養老川第四橋梁で徐行運転のサービス

列車は普通列車の約2倍の時間をかけて養老渓谷駅に到着。
次の列車まで1時間ほどあるので、駅周辺を歩いてみる。

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養老渓谷駅の駅舎

駅から観光の中心である温泉街までは少々距離があるので今回は断念。
乗り継ぎを優先してしまう乗り鉄の悪い所だという自覚はある。

駅から10分ほど歩いた場所に渓谷橋という橋がかかっているらしく行ってみる。

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青いアーチ橋から養老川を望む

「青空と雲と山と川」という、小学生が夏休みの宿題に描いた絵の様な風景。
新生活が始まったり感染症が流行したりで忘れかけていたが、「夏が来る」というだけでワクワクしてしまうのは自分だけだろうか。

駅まで戻り、普通列車で一駅先の終点・上総中野駅へ。
ここでいすみ鉄道へと乗り換える。

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上総中野駅での小湊鉄道(右)といすみ鉄道(左)

いすみ鉄道上総中野駅から大原駅に至る第三セクター鉄道で、元々は木原線という国鉄の路線だった。
一時期は廃止の危機に瀕したが、現在もこうして小湊鉄道と共に鉄道による房総半島横断を担っている。
20分ほど乗車し、途中の大多喜で下車。

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大多喜の観光案内板

大多喜は中世から近世にかけて栄えた城下町で「房総の小江戸」と呼ばれる。
徳川家康に仕え、戦で傷一つ負わなかったといわれる武将、本多忠勝が城主だった時期もあり、お墓もこの地にある。

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現在も城下町を思わせる建物が残る「房総の小江戸

時刻は13時を過ぎていたので、「くらや」という蕎麦屋で昼飯。

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「くらや」さんの天せいろ

昼飯を食べた後は「房総中央鉄道館」へ。
中には鉄道模型のレイアウトや鉄道部品が所狭しと並ばれていた。
いい歳したおっちゃん達が模型の整備をしながら楽しそうに運営していた。
こういう老後に憧れてしまう。

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踏切と遮断機が目印の「房総中央鉄道館」

駅前の観光案内所でお土産を買い、駅に戻る。
ここからはいすみ鉄道「急行列車」に乗車。
車両はかつて国鉄・JRで使われ、優等列車から普通列車まで日本各地の非電化区間で活躍した気動車だ。

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いすみ鉄道の「急行列車」。国鉄ヘッドマークがファンには嬉しい

この車両に初乗車の筆者がそわそわしていると、女性の車掌がやってきた。
買っておいた急行券を差し出す。
「自分で入鋏してみますか?」という車掌の言葉に甘え、金属製のパンチャーで思い切り挟む。
「パチン!」硬券ならではの音が車内に響く。
筆者が物心ついた時には自動改札機が当たり前だったので、「懐かしい」というよりは「新鮮」である。

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右下の欠けた部分が入鋏の証

「この沿線一帯は、千葉県の中でも有数の米どころです。・・・」車内アナウンスで車窓の説明の通り、車窓には田園風景が広がる。

時間も限られているので、車内をうろうろしてみる。

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昔の車内広告がノスタルジーな雰囲気を高める

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晩年は富山で活躍していた車両。その名残

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「1964年に製造された車両です」東海道新幹線と同い年

約40分のノスタルジー体験はあっという間に終わり、終点の大原駅に到着。

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「昭和に撮影した写真」と言っても違和感ない

ここでJRに乗り換え、一路帰宅。

気兼ねなく旅行できる日はいつになるのか・・・

 

【今回のお土産】「最中 十万石」(大多喜)

某埼玉名菓みたいな名前だが、大多喜城下の石高に由来。
「甘いの好きだったらこれがいいよ!」と観光案内所のおばちゃんに薦められて購入。
粒あんがぎっしり詰まっており、お茶と一緒に食べたい一品。

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「うまい、うますぎる」・・・ではない

 

ブログ開設しました。

こんにちは、「へたりあ」す。もしかしたら「はじめまして」の人もいるかもしれませんね。

 

この度こちらのブログ『百代の過客(はくたいのかかく)』を開設しました。タイトルの「百代の過客」とは、松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』の冒頭に登場する言葉で、「永遠の旅人」という意味があります。少し読みにくいかもしれませんが、中の人が好きな言葉なのでお許しください。

 

さて、この初投稿では「何故今更ブログを始めたのか?」について少し語りたいと思います。

 

中の人は今年大学を卒業した社会人一年目です。人生における大きな節目を迎え、「何か新しい事を始めたい」という漠然とした考えを抱く様になりました。楽器、小説、イラスト・・・色々考えてみては、ああでもない、こうでもない、と模索する日々が続きました。

 

そして、一つの結論に達しました。

 

「言葉の練習がしたい。」

 

思い返してみると、昔から5教科の中で最も苦手なのは国語でした。特に文章の読解。本を全く読まなかった訳では無かったのですが、いつも出来が悪かったので、いつの間にか、文章というか言葉に対して苦手意識を持つ様になっていました。

就職活動の時も、エントリーシートの作成に苦労しました。何故弊社の一員になりたいのか、そこで活かせる自分の長所は何なのか・・・その事をどういう言葉で伝えるのか思い悩み、結果提出がギリギリになってしまったり、出せずに終わった事もありました。

そして現在も、上司やお客様に接する際、どういう言葉が適切なのか分からなくなり、言葉に詰まってしまう場面を何度も経験しています。

 

このままではいけない。「人に伝える言葉の練習」をしなければ。

 

こうして辿り着いたのがブログの開設でした。自分の体験を、Twitterなどではなく、しっかりと推敲した文章をもって他人に伝えたい。そうして言葉を鍛えていけば、この先自分のためにもなるのではないか。これが、始めた理由です。

 

少し話が固くなってしまいましたが、今後は趣味である鉄道旅行記を中心に投稿していきたいと考えていますが、昨今の状況下で次の旅は未定です。そのため、投稿の頻度はあまり期待しないでください。

 

 

そういえば、少し前に部屋の整理をした際に『鉄道旅行記と書かれたノートを発見しました。すっかり忘れていましたが、どうやら中の人が中学生の時に同じ様な試みを行っていたみたいです。

 

最初には、山梨県富士急行線に乗りに行った旅について書かれていました。次にめくると、茨城県ひたちなか海浜鉄道への旅について。

 

それ以降のページは、全て空白でした。

 

絵に描いた様な三日坊主、いや三回坊主(笑)。大丈夫か、自分。